“こうした旅行記こそ、その図版ともども、当時の東洋への関心やジャポニスムの生み出したもうひとつの産物であると同時に、女性の眼にうつった事実を通してそれらを増幅し、かつのその修正を迫ったものであるだろう。”−富山太佳夫「推薦文」より。
●日本を含むアジアを広く旅した4人のヴィクトリア朝時代の女性の旅行記を復刻集成。
●今日、コロニアリズムや女性史研究だけでなく、19世紀英文学、文化研究、そしてジェンダー、セクシャリティーに関する史資料として読み直しの進む、海を渡った女性達の異国での体験の記録。
●多数の図版、地図なども含め初版を完全復刻。
収録文献明細:
第1巻
A Voyage in the "Sunbeam" : Our Home on the Ocean for Eleven Months
by Mrs. Brassey (Brassey, Annie Allnutt)
London : Longmans, Green and Co., 1878, xv, 504 p., 14 plates
--鉄道建設業で財をなしたトマス・ブラッシーの長男と結婚した、著者アニー・ブラッシー(1839-1887)による旅行記。夫が所有する蒸気船「サンビーム号」で、1876年から11ヶ月をかけ、世界各地を旅した。77年1月から2月にかけ横浜から、京都、神戸、瀬戸内海を旅している。横浜での食事のメニューや各地の気温や天候の表など詳細な記述がある。本書は英国で版を重ねたベスト・セラーで、ヨーロッパ各国語や日本語(内田弥八訳『婦人地球周遊記』明治19年)にも翻訳された。地図、表に加え、100点を超えるイラストが付されている。
第2-3巻
Wanderings in China, 2 vols.
by C.F. Gordon Cumming (Gordon Cumming, Constance Frederica)
Edinburgh ; London : W. Blackwood, 1886
Vol.1: vi, 382p., 4 plates
Vol.2: vi, 370p., 5 plates
--スコットランドの貴族の家に生まれたコンスタンス・ゴードン=カミング(1837-1924)は、1867年にインドを旅して以来、世界各地を頻繁に訪れ、その間に毎日のように書いた家族への手紙や水彩画をもとに多くの旅行記を著した。イザベラ・バードがその編集や校正を行ったこともある。本書は1878年から79年に長崎から中国を旅した記録。
第4巻
Newfoundland to Cochin China by the Golden Wave, New Nippon, and the
Forbidden City
by Mrs. Howard Vincent (Vincent, Ethel Gwendoline)
with Reports on British Trade and Interests in Canada, Japan, and China, by
Col. Howard Vincent
London : Sampson Low, Martson & Co., 1892
xii, 404p., 13 plates
--国会議員の夫と旅したカナダ、日本、中国、インドシナの記録。日本には1891年9月に着き、横浜、東京、鎌倉、箱根、名古屋、京都、大阪、神戸、瀬戸内海から九州へ旅し、長崎から中国へ向かう。人力車、汽車や船で訪れたこれら各地を、New
Nipponと題した章に詳しく記述している。
第5巻
When We Were Strolling Players in the East
by Louise Jordan Miln
2nd ed., London : Osgood, McIlvaine, 1895
xii, 354 p., 25 plates
--中国人を主人公に東洋趣味な小説を執筆し人気を博したルイーズ・ミルンによる、夫とともに旅したインド、ビルマ、中国、日本の思い出。客観的描写より、私的な印象や'Four women that I kew in Tokio'と題した章にあるような、交流した人々との逸話などが特徴的な、作家ならではの旅行記。
■Victorian Lady Travellers in Asia シリーズを推薦する。■
富山太佳夫(青山学院大学教授)
なぜ、女性の書いた旅行記をよむのだろうか。多分好奇心からということになるのだろうが、その好奇心は何を対象にした、どんな記述にひきつけられるのだろうか。
男の手になる旅行記だと、どうしても政治や経済や精神文化の表向きの話題(たとえば武士道や禅など)に大きなスペースが割かれるのが自然かもしれない。しかし、そこに東洋人をはじめとする非ヨーロッパ系の人々を見くだす自然が内在しているかもしれない。それに対して、19世紀の末の段階で世界周航の船旅に出たり、インドや中国や日本に来たりする女性の方は、時代としては明らかに変人の部類に入る。そのような女性たちに期待できるのは、祖国の白人社会の男性中心主義をすり抜けてしまうような眼の動かし方だろうか。それとも、ヨーロッパ中心主義の最も濃厚な表現だろうか。たとえばLouise J. Miln, When We were Strolling Players in the East (1895) の中に次
のようなくだりを見つけると、ためらわずにそうした問題を考え始めることができる。
They walk about the streets alone ? do the blind shampooers of Japan. They
are as fearless as they are safe. The sad note of their whistle is an appeal
to the kindness and the protection of their people. It is an appeal that is
answered with universal and invariable generosity and chivalry. I remember,
in Japan, many a night that was absolutely silent save for the sorrowful
sound of these poor sightless givers of rest and of sleep. I recall no night
through which I did not hear their one drear note.
あるいは、同じ本の第31章がSamboと題されているのが眼にとまった瞬間に、好奇心がかきたてられる。Mrs. Brassey, A Voyage in the‘Sunbeam’(1878) の巻末には、世界周航中の気温の変化の表がつけられている。男の船旅なら、涼しい、暑い、やけに暑いくらいの表現ですませてしまうところかもしれないが。Marianne North, Recollections of a Happy Life, 3 vols.
(1893) となると、男の人類学者のそれとはまた視点の違う各地の文化と人間の比較論とも言える。そして19世紀末の旅行記の特徴でもある豊富な図版と写真が、当時の人々の眼を伝えてくれる。
こうした旅行記こそ、その図版ともども、当時の東洋への関心やジャポニスムの生み出したもうひとつの産物であると同時に、女性の眼にうつった事実を通してそれらを増幅し、かつその修正を迫ったものでもあるだろう。この時代に最も人気のあった冒険小説の作家G. A. ヘンティにも中国を舞台にした作品がある。事実かどうかは知らない、しかし私は、今私の眼の前にある旅行記を彼が読んでいる姿を想像してみることができる。ひょっとしたらその肩越しにジョゼフ・コンラッドが同じを旅行記を眺めていたかもしれない。
旅行記を読むことの楽しさは、もちろんそこに書かれていることに由来するだろうが、それだけではなくて、それに魅了されて何かの行動を起こした人々の姿を想像してみる楽しみでもある。遠い見知らぬ国の旅行記にはフィクションよりも強烈な魅力がひそんでいることがある。『失楽園』、あの作品でさえ、盲目の詩人が想像力の中で旅をした遠い国の旅行記ではなかったろうか。
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シリーズ 「アジアを旅したヴィクトリア朝時代の女性たち」既刊書
第1回配本『マリアンヌ・ノース自伝』全3巻
Recollections & Further Recolletions of a Happy Life : being the
Autobiography of Marianne North
2005年10月刊行 / 本体セット\48,000 / c.1050pp. / ISBN: 4-86166-026-2
イザベラ・バードとならぶヴィクトリア朝時代の女性旅行家マリアンヌ・ノース(1830-1890)は、今日でもその名を残す英国王立植物園キュー・ガーデンのマリアンヌ・ノース・ギャラリーに収められた膨大な植物画でよく知られています。幼少時代より父の友人であった科学者や知識人と接して育った彼女は、若い頃から家族や父に連れられヨーロッパそして中近東へと旅して回ります。父の亡き後、旅は彼女にとっての生きがいとなり、北南米、シンガポール、インド、オーストラリアなどなど、世界各地を訪れることとなります。日本へも1875年から76年にかけ、横浜、神戸、京都周辺を訪問しています。バードと異なり、旅行記を自ら著すことのなかったノースですが、その情熱は、恵まれた芸術面の才能をいかした植物の写生に向かいます。その才能を評価したチャールズ・ダーウィンが、さらなる旅へと彼女を後押ししたこともあるようです。こうして書き溜められた植物画の一般公開のため、前述のノース・ギャラリーが1882年にオープンしています。彼女の功績を称えた王立植物園は、5種の植物に彼女にちなんだ命名をしています。本書はノース自身が残した膨大な旅の記録を、その死後に妹が全3巻にまとめたものです。彼女自身の旅行での体験に加え、他の女性旅行家の逸話などが挿入されており、ヴィクトリア朝女性旅行家の同時代の記録として代表的な文献です。
◇内容明細◇
第1−2巻:
Recollections of a Happy Life : being the Autobiography of Marianne North
Edited by Mrs. John Addington Symonds
2nd ed., with corrections, London ; New York : Macmillan, 1893
Vol. 1: viii, 351pp.
Vol. 2: 343pp.
Contents:-
Early Days and Home Life
Canada and United States
Jamaica
Brazil
Teneriffe-California-Japan-Singapore
Borneo and Java
Ceylon and Home
India
Hill Places in India
Rajputana
Second Visit ot Borneo-Queensland-New South Wales
Western Australia-Tasmania-New Zealand
South Africa
Seychelles Islands
Chilli
第3巻:
Some Further Recollections of a Happy Life, selected from the Journals of
Marianne North, chiefly between the year 1859 and 1869
Edited by Mrs. John Addington Symonds
London : New York : Macmillan, 1893
viii, 316 p., [3] leaves of plates
Contents:-
In the Pyrenees and Spain
Switzerland-Italy-Trieste-Pola-Fiume,,,
Adriatic and Syria
Egypt
Palestine and Syria
In the Dolomite Alps, Australia
Mentone and Sicily
Syracuse and its Neighbourhood - Taormina, Monte Generoso, and Trafoi
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