*17世紀英国を代表する詩人・劇作家ドライデン(John Dryden)が、「英国近代出版の父」と称されるトンソンの(Jacob Tonson)と共同で、その死に至るまで十数年以上の歳月を費やし編集
を続けた、著名なアンソロジー全6巻の初めて復刻。
*1684年から1709年まで、6回に分け刊行された初版6巻を完全復刻。原本は古書市場でも入手の極めて困難な稀覯書。
*既に発表されていた作品の単なる集成であったそれまでのアンソロジーと一線を画し、ドライデンとトンソンの明確な編集方針のもと当時の詩人達に書き下ろしの韻文作品を委嘱、スウィフト、ポープ、アフラ・ベーン、アディソン、コングレーヴらの作品を世に送り出した。
*ギリシャ・ローマ古典から、この時代に求められた韻文作品も英訳。
*17世紀から18世紀初頭の長期間人気を保ち、この時代の英国文学読者層の嗜好性と、それに応える作家のテーマや作風に多大な影響を与えたといわれる。
*今日熱く論じられている以下の研究テーマの一次資料として利用可能。
●英文学の17−18世紀における成立過程。
●「長い18世紀」(The Long Eighteenth Century)初期の英国文化の変容。
●英国近代出版業の始まり。
●17−18世紀初頭のマイナー詩人の研究。
*編者による詳細な解説(約200頁)や各作品著者の人物情報、異版との収録文献の比較等々、最新の研究データも収録。
各巻明細
Vol. 1: (1684) Miscellany Poems, c.420pp
Vol. 2: (1685) Sylvae: or, The Second Part of Poetical Miscellanies, c.310pp
Vol. 3: (1693) Examen Poeticum: Being the Third Part of Miscellany Poems,
c.546pp
Vol. 4: (1694) The Annual Miscellany … Being the Fourth Part of Miscellany
Poems, c.327pp
Vol. 5: (1704) Poetical Miscellanies: The Fifth Part, c.616pp
Vol. 6: (1709: Poetical Miscellanies: The Sixth Part, c.659pp
推薦文
―Miscellanyの面白さを堪能する―
原田範行(杏林大学外国語学部教授)
「なぜ、わざわざ三百年前の詩のアンソロジーが必要なのですか?Drydenが編纂したといっても途中で亡くなっていますし、なにも“MacFlecknoe”や“Absalom and Achitophel”をこれで読まなくてもよいと思いますが。RocesterやRymer、Congreve、Prior、それにPopeだってSwiftだって、それぞれの作品集にあたればいいじゃあないですか。だいたい、二流の詩とは『アンソロジーでしか読まれない詩』なんて言っている批評家もいます。私は以前、ジョンソン博士の『詩人伝』を読んだのですが、本当に苦痛でした。出版者に押しつけられた部分もあるのでしょう。アンソロジーって、そういうのが多いと思いますが。」The Dryden-Tonson Miscellanies, 1684-1709 を授業の教材などに指定しようものなら、たちまちこんな学生の声が聞こえてくるかも知れない。
だが果たしてそうだろうか。そもそもこの詩集には、実に興味深い謎が数多く秘められている。刊行当初から完結までの間、何度も作品の差し替えが行われているが、その判断基準は、ひょっとすると批評史上の大問題であるかも知れないのに、未だよく分かっていない。基本方針の大転換もあった。最初は“new translations with several original poems”という
趣旨の副題が付されていたのに、それが1709年には“a collection of original
poems with several new translations”と変わる。本リプリント版は、詳細な解説や資料を通じて、四半世紀に及ぶこうした詩集の躍動を明らかにしてくれている。もっとも、謎はそればかりではない。あの『劇詩論』を著したDrydenが深く関わっているにも関わらず、実はblank verseで書かれた作品が極端に少ないのだ。それはなぜか?satireや
pastoralもそうだ。それらしきものは、確かに少なくない。だが本格的なsatireやpastoralとなると、これが意外に見当たらないのである。むしろ、より一般的なballadsやancient songsといったものがこの詩集には多い。これ
は一体何を意味する現象なのか?もちろん、出版者Tonsonにとっては自由に使える版権の問題が大きかったであろう。だが、それではなぜRobert Howardの“Duel of the Stags”や“The Waking of
Angantyr”を採録したのか?
本詩集は、したがって、単に詩のアンソロジーと片付けられるものではない。そうではなく、17世紀後半から18世紀にかけての実に多様な文化を凝縮した、まさに「各種言語表現集成」と呼ぶべきMiscellanyなのである。(Miscellanyという語が、時に定期刊行物のタイトルにも用いられたのは、こうした事情による。)欧米でも本詩集のオリジナルを所蔵する図書館は極めて少ない。それゆえ本リプリント版は、近代文化の胎動を、その詩的・言語的表現を通じて綿密にたどることのできる貴重な教材の価値ある復刻版なのである―件の学生に対して、私はそう答えたいと思っている。
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