19世紀の東アジア政治と20世紀前半に日本がとった植民地政策にアヘン貿易は極めて重要な要素であり、その歴史にイギリスのアヘン政策があたえた影響は今日重い研究課題となっています。
イギリスにおけるアヘン貿易反対運動は、19世紀前半非国教徒の主導のもとに始まりました。アヘン戦争当時、彼らはアヘン密貿易に反対する署名の提出などで、下院でアヘン貿易反対の討議を実現させました。その後、反対運動は一旦沈静化しましたが、1870年代に再び高まりを見せ、1874年にはシャフツベリー卿を会長とする全国組織「アヘン貿易反対協会(略称S.S.O.T.)」が結成されました。1880年前後になってS.S.O.T.は「中国に対するアヘン貿易強制の排除」を謳い、大きな国民的反響を呼び起こしました。こうして1880年代のイギリスは一大アヘン論争の時代を迎えます。高まる中国・インドのアヘン貿易批判に対応するため、1893年にグラッドストン内閣は「王立アヘン委員会(The
Royal Commission on Opium)」を設け、インドのアヘン生産とアヘン販売を中止すべきかどうか調査することを決定しました。アヘン貿易の実情と貿易停止の可能性について、9名からなるチームが調査を行うことになったのです。委員たちはインドとビルマへ渡り、2年の月日をかけて貿易に反対を唱える人々と、アヘン貿易によって生計を立てている人々の双方から等しく聞き取り調査を行い、集められた証言をすべてまとめて調査報告書としました。それらの証言をもとに、委員会はアヘン貿易を続けるべきであるという結論を出しただけでなく、「適度なアヘンの服用は、英国における適度なアルコール飲酒と同様である」と宣言しました。これは反アヘン貿易派を落胆させ、アヘン貿易反対運動に大変な打撃を与えました。そして1907年に「中英禁煙協定」が締結されるまで、さらに10年以上もアヘン貿易を容認する結果を招きました。
アヘンはアジアにおける英国植民地政策にとって重要な経済基盤のひとつであり、アヘン貿易の是非には相当な政治的思惑が絡んでいました。そのため王立アヘン委員会はアヘン製造・販売の禁止がもたらす財政状況と、麻薬が多くの中国人とインド人の体と心を蝕んでいるという証言をはかりにかけねばなりませんでした。そしてこの時委員会が出したアヘンを肯定する結論が、その後の日本が中国で展開するアヘン専売政策にも影響を与えたとも考えられます。
本書は王立アヘン委員会の詳細な報告書とその補遺版をすべて忠実に復刻するものです。報告書には宣教師、農民、外交官、医師、商人といった人々からの700を超える証言が収録されており、それらの大部分が非ヨーロッパ人から採録されたものです。またアヘン貿易をさまざまな角度から検証する信頼性の高い統計資料や、アヘン貿易に関する歴史的解説、詳細な項目索引やインド用語集なども付されており、19世紀から20世紀のアジア世界にアヘンが与えた影響を検証するまたとない基礎資料としてお勧めいたします。
■収録明細■
Vol. 1
First Reports of the Royal Commission on Opium, with Minutes
of Evidences and Appendices
Vol. 2
Minutes of Evidence
taken before the Royal Commission on Opium between 18th
Nov., and 19th Dec. 1893 with Appendices
Vol. 3
Minutes of Evidence taken before the Royal Commission
on Opium from 3rd to 27th Jan. 1894
Vol. 4
Minutes of Evidence taken before the Royal Commission
on Opium from 29th to 22nd Feb. 1894 with Appendices
Vol. 5
Proceedings., Appendices; together with Correspondences
on the Subject of Opium with the Straits Settlements and
China, etc.
Vol. 6
Final Reports of the Royal Commission on Opium, with Annexures
& Supplement to the Report of the Royal Commission
on Opium, Note by the Hon.
The Maharaja Bahadur of Durbhanga
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