詳細のお問い合わせ ご注文はメールで…
構成
推薦文
推薦文 アーネスト・サトウ全集推薦文 「先駆者の手探りの道」 萩原 延壽(歴史家) アーネスト・サトウは、文久2年(1862)8月、生麥事件の直前に、駐日イギリス公使館付の通訳生として、19歳ではじめて日本の土を踏んでから、幕末・維新の動乱期を目撃し、その間、その地位は通訳官、日本語書記官と昇進をつづけて、明治15年にいたつた。その後バンコク(タイ)、モンテビデオ(ウルグアイ)、タンジール(モロッコ)での勤務を経て、やがて明治28年(1895)、日清戦争直後の日本に公使として帰任し、明治33年に駐清公使に転じるまで、その職にあつた。 サトウの日本勤務は、通算すると約25年に及んだわけだが、その幕末・維新期の活躍については、邦訳されているサトウ自身の回想録『一外交官の見た明治維新』(岩波文庫)にくわしい。 しかし、サトウの活動は、たんに外交官としてのそれにとどまるものではなく、学者=外交官と呼ぶのが適当であるような、じつに多方面にわたるひろがりを持つていた。それを可能にしたのは、サトウの旺盛な知的好奇心、それを支える強靭な頭脳と勤勉な精神であつた。さらにサトウは健脚にもめぐまれていた。 そういうサトウが残した活動の全貌を、前述の回想録を含めて、すべて原文であきらかにしてくれるのが、今回復刻版として刊行される『アーネスト・サトウ全集』である。 たとえば日本研究に限つてみても、サトウの著述は、言語、宗教、歴史、地理と、いずれの分野においても、先駆者の光栄をになつている。サトウは日本側の原典にあたることによつて、宗教や歴史について書き、日本の現地を踏むことによつて、旅行案内を編んだ。サトウが歩んだのは、先駆者に不可避な困難な手探りの道であつた。 この『全集』によつて、そういう貴重な遺産が正確につたえられ、サトウの活溌な知的活動のすべてが生き生きとよみがえることを、私は期待している。