アイルランド議会記録 1781-1797 全17巻(The Parliamentary
Register, or History of the Proceedings and Debates
of the House of Commons of Ireland) が完全復刻版になった。これはアイルランド史研究者にとってばかりではなく、18〜19世紀のヨーロッパ社会を研究する多くの研究者にとっても大変な朗報である。
この時期のアイルランド史ことに政治・経済・社会・文化を研究する者にとって、この庶民院記録(若干の貴族院記録を含む)がどれほど重要な資料であるかは、改めて云うまでもないであろう。いわゆるグラタン議会(1782〜1800)の全貌を記録した唯一の資料であるが、日本の研究機関ではまだどこも所蔵しておらず、これまでは
Trinity College, DublinのBerkeley Libraryかロンドンの大英図書館で読むしか方法がなかったものである。
残念なことに、これは‘97年で途切れており、そのため’98〜1800年の議会解体・イギリスへの併合にいたる論議は記録されていない。途切れた理由はあまりはっきりしていないが、主たる発行人の一人であったPatrick
Byrneが煽動罪で逮捕され、その後アメリカへ移住したためではないかという説がある。 しかし、’82年以降相対的自立をかちとったアイルランド議会で、経済政策やアメリカ・フランスとの関係、カトリック参政権等をめぐって戦わされた激しい論戦の記録は、最後の3年間の欠落を補って余りあるものである。通説的な「栄光のグラタン議会」とは別の、混乱し利害錯綜した状況がそこには生々しく描きだされている。
この時期のアイルランドの動き、例えば’98年のユナイッテッド・アイリッシュメンの蜂起等をアメリカの独立、フランス革命、スコットランド啓蒙等との関連で解明しようとする研究が盛んなことは周知のことだが、この議会記録はそうした「ヨーロッパ思想・運動史」研究の原資料としても貴重なものといえよう。
このアイルランド議会記録はウエストミンスター議会議事録Parliamentary Papersより20年も早くから出版されており(後者は庶民院が1801年から、貴族院は1804年から)、最初から事項・人名索引がつけられている。索引には思わぬ効用がある。それは議員300名の伝記的研究および選挙区との関係から見える地方史研究等の資料としての効用である。復刻版に付けられたW.J.McCormackの序文によると、1797年からの議員に<F.Syngeという人物がおり、それはJ.M.Syngeの曾祖父であった。文学者Syngeは曾祖父がアイルランドを裏切ったか否か絶えず気にしていたという。McCormackによれば、この議会記録はアイルランドの図書館にも殆ど所蔵されていない(exceptional
rarity)という。この復刻版が今後の研究に資するところは非常に大きいと期待できよう。