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分野:アイルランド文学・歴史、英文学、出版・メディア史

アイリッシュ・ペニー誌集成 全6巻
Irish Identity and Literary Periodicals, 1832-1846
Ed. Nick Lee, University of Bristol

2000年9月刊行
本体セット価¥118,000 *2005年1月増刷
ISBN:4-931444-42-3


文芸誌から読み解く19世紀のアイルランド復興


アイルランドの文芸復興運動は19世紀末にイェイツらにより本格化しますが、それ以前の19世紀半ば、既に自国の文化を見直す動きが文学や音楽の世界で始まっていました。そしてその流れの中心となったのが、今回復刻されるアイリッシュ・ペニーと呼ばれる文芸誌でした。

これらの雑誌がダブリンで刊行されたのは、ちょうどカトリック解放令が出され、青年アイルランド党の創設に伴ってその機関誌Nationが創刊されるといった時代の狭間にあたります。それはまさにアイルランド固有の詩や小説、ゲール語、考古学から民族の起源にいたる「アイルランドのアイデンティティー」への関心が高まり、知的階級から大衆への広がりを見せた時代でした。このアイルランド復興の揺籃期に出版メディアの役割は大きく、なかでもThe Dublin Penny Journalとその後続のペニー2誌には、当時のアイルランドを代表する作家が集いました。

The Dublin Penny Journalは1832年に創刊され、同年にロンドンで有用知識普及協会(The Society for the Diffusion of Useful Knowledge)により発刊されたThe Penny Magazineをモデルにしたとされます。発行部数が5万部に達したこの雑誌は労働階級や農民への知識の啓蒙を大きな目的とし、約5年間続けられます。この役割はその後のThe Irish Penny Journal/Magazineに受け継がれ、19世紀前半のアイルランド社会に大きな足跡を残します。ロンドンの「Penny」が一般大衆誌として実用的知識の普及に重点を置いたのに対し、アイルランドの「Penny」は英国による支配のもとで失われていたゲール文化、言語、歴史の再発見を自国民の気質にあう編集構成により強く促したといえます。これこそまさに19世紀後半のゲーリック・リバイバルの源となったものでした。

多くのイラストも含む本書は、アイルランド研究の原資料として、大変刺激的な研究材料を提供してくれます。


本書の特徴
●国内では所蔵の極めて稀な文献の復刻
●アイルランド文学から文化全般に亘る資料
●19世紀アイルランド文学者の多数−William Carleton, Thomas Crofton Croker, James Mangan, Eugene O'Curry, John Donovan, George Petrie らーが寄稿
●Richard Doyle, Samuel Lover, Andrew Nicholl, W. F. Wakemanら著名な版画家による図版多数を掲載

■内容明細■

Vol. 1 - 4 「ダブリン・ペニー・ジャーナル」
新序文: Nicholas Lee, Bristol University
The Dublin Penny Journal 1832-36, (208 issues in 4 vols.)
Dublin: Published by J. S. Folds from no.1 - 55 and by P. Dixon Hardy from no. 56 -208
Vol.1: Nos. 1-52, 30 June 1832 to 22 June 1833; 416 pp.,preface and index.
Vol.2: Nos. 53-104, 6 July 1833 to 28 June 1834, 416 pp.,preface, index to plates, table and supplement ('A Guide to the Giant's Causeway').
Vol.3: Nos 105-156, 5 June 1834 to 27 June 1835, 416 pp., preface and supplement ('Views in Dublin').
Vol.4: Nos. 157-208, 4 July 1835 to 25 June 1836, 416 pp.,preface, table and supplement ('Views in the Neighbourhood of Belfast').
■主な著者:Sir George Petrie the topographical artist, antiquarian and musicologist; Rev.Caesar Otway, antiquarian and travel-writer; James Clarence Mangan, the translator and poet; Anna-Maria Hall [Mrs S. C. Hall], the novelist and travel-writer; John O'Donovan, the archaeologist, place-name expert and antiquarian.

Vol. 5 「アイリッシュ・ペニー・ジャーナル」
The Irish Penny Journal 1840-41, (52 issues in 1 vol.) Dublin: Gunn and Cameron, Nos. 1-52, 4 July 1840 to 26 June 1841, 416 pp., index.
■編者: George Petrie
■主な著者:William Carleton, novelist; James Hardiman, historian; Anna-Maria Hall, novelist
■図版:William Frederick Wakemanなど

Vol. 6 「アイリッシュ・ペニー・マガジン」
The Irish Penny Magazine 1833-42, (65 issues in 1 vol.)
Dublin: T. & J. Coldwell, 520pp
Nos. 1-52, [5 January 1833 to 28 December 1833] & Nos. 53-65, [2 January 1841 to 26 November 1842]
■主な著者:John Doyle, Lover and Eugene O'Curry. Features James Mangan's (possibly autobiographical) article 'The Eccentric Poet'Samuel Lover, Richard Doyleなど



推薦文
アイリッシュ・ペニー3誌復刻の報に興奮
大手前大学教授 松村昌家


 アイルランドで3種ものペニー誌が刊行されていたとは!しかもそれらが全6巻にまとめられて復刻されることになったのだ。かつてロンドンで発行された『ペニー・マガジン』に打ち込んだことのある私は、この報せに驚き、かつ興奮した。寡聞にしてアイリッシュ・ペニー誌の存在を知らずにいたからである。そしてその復刻によってその全貌がわかるようになれば、ヴィクトリア朝初期におけるジャーナリズムの研究に、新たな可能性と広がりが出てくると思ったからである。『ダブリン・ペニー・ジャーナル』が創刊されたのは1832年6月30日。『ペニー・マガジン』(1832年3月31日創刊)より3ヶ月おくれてのスタートである。誌名だけでなく、民衆教育のために木版画挿絵の効果を活かそうと図った点でも、両者の間に顕著な共通点がある。しかし、『ダブリン・ペニー・マガジン』がまっ先に考えたのは、「独立」を宣言することによって、アイルランドの状況に則した独自の編集方針を打ち出すことであった。その精神は、あとにつづく『アイリッシュ・ペニー・ジャーナル』、『アイリッシュ・ペニー・マガジン』にも受け継がれることになる。1830年代から40年代にかけての最もきびしい試練のときにあって、これらのペニー誌がとらえたアイルランドの状況は、どのようなものであったのか、そして民衆に対しは何を語りかけたのか。歴史と文化の深い鉱脈をそこから掘り起こすことができるように思えるのである。